【原発事故と甲状腺ガン】「予後が良いから問題ない、では片付けられない」「患者をないがしろにするな」~罹患した若者たちが語る11年目のリアル
- 2022/03/24 民の声新聞
福島第一原発事故後に小児甲状腺ガンと診断された子どもや家族を支援している「3・11甲状腺がん子ども基金」が20日午後に行ったオンラインシンポジウム「原発事故と甲状腺がん 当事者の声をきくvol.2」で、小児甲状腺がんを罹患した4人の若者が術後の状態や手厚い支援の必要性などを語った。
福島県の内堀雅雄知事は小児甲状腺ガンと原発事故との因果関係否定に躍起だが、〝過剰診断論〟や〝学校検査縮小〟ばかりが論じられ、当事者の想いはないがしろにされてはいないか。「世間の関心も2011年当時より下がっているが、まだまだ手厚い支援が必要」、「予後が良いから問題ない、という言葉では片付けられない」という当事者の言葉は重い。
【「手厚い支援まだ必要」】
昨年3月のシンポジウムに続き、男女2人ずつ計4人の当事者が発言した。
モモコさん(27歳女性、現在は福島県外在住)は、原発事故発生当時は高校1年生だった。今から3年前に小児甲状腺ガンと診断されたという。
「県民健康調査の甲状腺検査は毎回必ず受けました。県外の大学に進学。県外に出た友人は検査を受けなくなった人も多いですが、私は原発事故の健康影響について分からないことが多く不安だったことや、親の勧めもあって受け続けました。腫瘍があって経過観察となっていましたが、たまたま別の検査を受けていた医師に詳しい検査を勧められたことでがんだと分かりました。ショックで毎日涙を流していましたが、甲状腺の半分を摘出する手術を受け、半年ごとの通院で普通に暮らしています。甲状腺を摘出したことで健康や妊娠・出産への影響など今でも不安になることもあります。でも、早いうちに見つかって手術を受けることができて良かったとも思っています」
今年1月には、6人の若者が「原発事故後に小児甲状腺ガンを罹患したのは被曝が原因だ」として、東電を相手取り損害賠償請求訴訟(「311子ども甲状腺がん裁判」)を起こした。
「私と同じ当事者が裁判を起こすなど、世間から注目される新たな動きがあります。でも行政は『病気と原発事故の関連性は認められない』と結論付けた後は検証が止まっているような印象があります。原発事故発生から時間が経つにつれ甲状腺検査の受診率は下がり、世間の関心も2011年当時より下がってきていると思います。でも、まだまだ手厚い支援が必要です。当事者も多くが20代となり、新たなライフステージを迎えています。不安や悩みも変わって来ていると思うので、それを聴いて寄り添った支援をして欲しいです」
スズキさん(25歳女性、福島県内在住)が手術を受けたのは、大学生だった21歳のとき。夏休みを利用して甲状腺を全摘出した。
「中学生(14歳)のときに被災。2014年冬の県民健康調査で甲状腺の右側に結節が見つかりました。甲状腺乳頭ガンでした。以前からバセドウ病を患っていたので、半摘出ではなく全摘出を勧められました。神経が傷つけられて声が出なくなるんじゃないかと不安でしたが、発声練習やカラオケなどでだいぶ出るようになりました。精神的にも浮き沈みがあり、無気力になったり記憶力も落ちて授業についていくのが大変でした。チラージン(内服薬)を飲み忘れると終日倦怠感があり、甲状腺は重要な臓器だと実感しています」
昨年実施された当事者アンケートでは、原発事故による被曝と小児甲状腺ガンとの因果関係を否定した県民健康調査検討委員会の結論に賛同しない意見が多かった=報告書より
【「お母さんになれるか不安」】
「宣告されたときは頭が真っ白になり、何も考えられなくなってしまった…」
そう話したのはマツモトさん(28歳男性、事故発生当時いわき市在住)。
「原発事故発生当時は17歳でした。2020年8月に4センチの腫瘍が見つかり、2カ月後にガンと診断されました。自分を鼓舞して2021年1月に手術。甲状腺を全摘出し、転移していたリンパ節も取ってもらいました。術後は声がかすれて聞き取れないくらいにまで小さくなってしまった時期もありましたが、発声練習を重ねてだいぶ良い状態になっています。昨年7月に放射線治療を受けて、現在は食事制限もなく、服薬だけで済んでいます。つらい時期もありましたが、その時に手を差し伸べてくれた基金の皆さんに感謝しています。若い世代やこれから手術を受ける方に何か伝えられることがあったら良いなと思っています」
大学生のハヤシリュウヘイさん(21歳男性)は、「これからも発言する機会があれば、こうやって顔を出してどんどん発言していきたい」と語った。
「原発事故発生当時は10歳、小学4年生でした。3巡目の県民健康調査で腫瘍が見つかり、2017年に手術を受けました。原発事故発生から10年というキリの良い年だった昨年と比べ、今年は私たち患者がないがしろにされているような、印象が薄れているように思います。自分が発言することで、少しでも前向きに生きる人が増えてくれたらうれしいです」
シンポジウムでは、小児甲状腺がんに罹患した当事者からのメッセージも代読された。
29歳女性(事故発生当時、関東在住)は10代で甲状腺乳頭ガンと診断され、手術で甲状腺の右側3分の1を摘出した。
「チラージンという薬を服用し続けています。コロナ禍で最も影響があったのは薬でした。薬をもらうために外出しなければなりません。幸いにも私自身は感染しませんでしたが、通院している病院で感染者が出てしまったときは、すごく怖かったです。仕事、結婚、そして薬を服用し続けていることでお母さんになれるかなど不安はたくさんありますが、がんばろうと思います」
「社会人1年目のときに小児甲状腺ガンと診断されました」と綴ったのは、28歳女性(事故発生当時、浜通り在住)。
「社会生活に復帰できていますが、今でも不安はたくさんあります。例えば結婚。婚約者や家族に病気のことを伝えたら拒否されるのではないか、なりたくてなった病気ではないのに…とふさぎこんでしまったこともあります。結果的に何の問題もありませんでしたが、病気による苦労は後を絶ちません。甲状腺ガンは死亡率が低く予後が良いと言われています。しかし、予後が良いから問題ない、何を悩んでいるの?という言葉では片付けられない想いがたくさんあると思います。どうか周囲の方は温かい眼差しと心のサポートをお願いします」
「3・11甲状腺がん子ども基金」は療養費給付事業「手のひらサポート」で、今年2月末までに福島県で118人、福島県外の1都14県では62人の計180人に1人10万円を給付したという
【「親として何をしてあげたら…」】
10代男性の母親から寄せられたメッセージ(代読)には、わが子を想う親の心情が詰まっていた。
「2016年、10歳のときに甲状腺乳頭ガンで甲状腺を全摘出しました。現在も3カ月ごとに通院しています。同級生より体力がないため、部活動もアルバイトもできません。学校から帰宅するとすぐ布団に横になってしまいます。転移を考えると不安な毎日です。親として何をしてあげたら良いのか、答えは分かりません。今は主治医を信じるのみです」(原発事故発生当時、浜通り在住)
「7年前、10歳のときに小児甲状腺ガンが見つかり、11歳で再発。2度の手術を経験しました。17歳になった昨年8月には、肺に転移している可能性があると診断され、12月にアイソトープ治療を受けました。親元を離れ、福島県外に進学・就職した場合、具合が悪くなったときに適切な治療を受けられるのか。福島県立医大と連携してもらえるのかということです。子どもたちが全国どこででも安心して生きていかれる体制ができたらうれしいです。子どもから大人へと変化していくなか、不安や悩みは大きくなるばかりだと思います。それを乗り越える強さと、誰よりも他人の痛みが分かる人であって欲しいと心から願うばかりです」(原発事故発生当時、中通り在住)
「3・11甲状腺がん子ども基金」は2016年7月に設立された。福島第一原発事故後に小児甲状腺がんと診断された子どもや家族を支えることを目的とし、同年12月より療養費給付事業『手のひらサポート』を始めた。原発事故で放射性ヨウ素が拡散した1都15県在住で、事故後に小児甲状腺ガンと診断された人(2011年3月当時18歳以下)が対象。基本給付が1人10万円。今年2月末までに福島県では118人、福島県外の1都14県では62人の計180人に給付したという。
基金によると「出産された方は10人を超えました」。妊娠・出産への経済的支援を開始するとともに、出産経験者のアドバイスを含めたQ&Aを配布。日本女医会東京都支部による無料電話相談会も行ってきた。昨年実施したアンケートの報告書「原発事故から10年 いま、当事者の声をきく―甲状腺がん当事者アンケート105人の声―」は福島県県民健康調査課や検討委員にも届けられた。
アンケート調査に協力し、この日のシンポジウムにも参加した山口大学の高橋征仁教授は「県民健康への支援が福島復興の原点であるはずなのに、事故発生から10年経って何でこんなことになっているのだろうと強く思う。県民健康調査では甲状腺検査は行われているが、目的として掲げた『原発事故による放射性物質の拡散や避難等を踏まえ、県民の被ばく線量の評価を行うとともに、県民の健康状態を把握し、疾病の予防、早期発見、早期治療につなげ、もって、将来にわたる県民の健康の維持、増進を図ること』は全く行われていないのではないか。そういうなかで疫学的な〝過剰診断論〟だけが独り歩きしている気がする」と指摘した。
(了)
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