肺に転移して2度手術、大学は中退…20代女性は「元の身体に戻りたい」と訴え 福島子ども甲状腺がん訴訟

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肺に転移して2度手術、大学は中退…20代女性は「元の身体に戻りたい」と訴え 福島子ども甲状腺がん訴訟

2022年5月26日 東京新聞

第1回口頭弁論後、記者会見をする原告団の井戸謙一弁護団長ら=東京・霞が関で

第1回口頭弁論後、記者会見をする原告団の井戸謙一弁護団長ら=東京・霞が関で 

 東京電力福島第一原発事故による放射線被ばくの影響で甲状腺がんになったとして、事故時に未成年で福島県内に住んでいた17〜28歳の男女6人が、東電に計6億1600万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が26日、東京地裁(馬渡もうたい直史裁判長)で開かれた。原告の20代女性が意見陳述し、肺への転移などで手術を2度受け、大学を中退せざるを得なくなったと説明した。

【関連記事】甲状腺がん手術4回「因果関係知りたい」 原発事故当時中2の男性 対東電訴訟、26日口頭弁論

 女性は傍聴席から遮蔽しゃへいされた証言台で、自らの思いをつづった文章を約15分間読み上げた。中学3年で原発事故に遭い、その後、甲状腺がんが見つかったという。「病気になってから治療を最優先してきた」と大学を中退した理由を語り「本当は卒業したかった。かなわぬ夢になったが、どうしても諦めきれない」と声を震わせた。

 大卒で就職し、安定した生活を送る同級生らを「どうしても羨望せんぼうのまなざしで見てしまう」と複雑な胸の内も明かした。

 最後に「元の身体に戻りたい。そう願っても、もう戻ることはできない。裁判で甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願う」と涙ながらに言葉を振り絞ると、傍聴席からすすり泣く声が漏れた。

 一方、東電側は争う姿勢を示した。弁護団によると、「原告らは放射線被ばくを受けていないか、仮に受けていても極めて小さく、甲状腺の健康リスクの上昇には関わりがない」などと因果関係を否定しているという。

 訴状によると、原告6人は事故当時6〜16歳。10代で甲状腺がんになり、2人が甲状腺の片側を切除、4人は再発して全摘した。「原告を含む福島県内の子どもたちの甲状腺がんは、事故で大量放出された放射性物質によって生じた」としている。原告側は残り5人の意見陳述も求めている。(奥村圭吾)

甲状腺がん手術4回「因果関係知りたい」 原発事故当時中2の男性 対東電訴訟、26日口頭弁論

2022年5月25日 東京新聞

「何よりも原発事故との因果関係が知りたい」と話す男性。19歳で甲状腺がんと診断された=東京都内で

「何よりも原発事故との因果関係が知りたい」と話す男性。19歳で甲状腺がんと診断された=東京都内で

 東京電力福島第一原発事故時に福島県内にいた、約300人の子どもたちに確認された甲状腺がん。「事故と因果関係があるのか」ー。事故当時、中学2年だった男性(25)は4度の手術を受け再発の恐れを抱えながら、その答えが知りたくて裁判を起こした。男性ら若者6人が東電に損害賠償を求めた訴訟の第一回口頭弁論が26日、東京地裁である。(片山夏子)

◆再発・転移の懸念、常に

 「いつかまた転移し、体調に影響があると覚悟して生きています」。男性は福島県中部の中通り出身で、東京都内の企業で働く。薬は生涯飲み続けなければならないが、体調は良く仕事は充実しているという。

 だが、再発や転移の懸念は常につきまとう。声が出なくなったり、体調が悪化して仕事ができなくなったりしたら…。「先のことは考えられない」と言う。当初は裁判に積極的ではなかったが、今は「裁判であった事実の記録を残し、甲状腺がんに苦しむ他の子の助けになれたら」と思う。

 甲状腺がんと分かったのは、都内の大学に通っていた19歳の時だった。父親は医師から「悪性度が高く、広範囲に転移がある。5年もたないかもしれない」と告げられたことを、男性には言えなかった。

 別の医師にも「チェルノブイリで見られたのと同じ」「原発事故関連と推察される」と言われた。父親は「がんと告げた時、息子は淡々と受け止めていた。心の中で泣いた」と話す。「福島にいてはいけなかった」。避難しなかった後悔が今も消えない。

 男性は20歳で片側の甲状腺を切除。半年後に全摘したが、リンパ節への転移もあり、手術は6時間に及んだ。長時間同じ姿勢でいたため、手術後はひどい床ずれの痛みで眠れなかった。声が出ずに痛みを訴えることすらできず、チューブにつながれたまま耐えた。心が沈み、家族の言葉にも反応できなかった。「死んだ方が楽かもしれない」と初めて死を意識した。

◆「半年は避妊を」文書に衝撃

 21歳の時にリンパ節への転移で3回目の手術を受け、24歳で再発。手術後の放射線治療では「半年は避妊すること」と書かれた文書をもらった。結婚して子どもがほしいと思っている男性は、子どもに影響するかもしれないと衝撃を受けた。男性は「父親が原発事故に憤りを感じたり、子どものために病院を必死で探したりした気持ちが初めて分かった」と話す。

 政府や福島県は、県内で見つかっている小児甲状腺がんと原発事故の因果関係は「現時点で認められない」との立場だ。提訴後、父親は男性ら原告に向けられる差別的な空気も感じ取っている。「せっかく福島が良い方に向かっているのに水を差すな」という声や、離れていった知り合いもいた。

 原発事故後、福島県などの調査で甲状腺がんと分かった若者は301人。原告弁護団は、小児甲状腺がんの発生率は通常の数十倍で、原発事故との因果関係は明らかだと主張する。

 男性は言う。「原発事故じゃなかったら何があるのか。何も言わなければなかったことにされ、事実が埋もれていく。価値ある裁判にしたい」

【関連記事】「福島第一原発事故の被ばくで甲状腺がんに」と主張 事故当時子どもだった6人が東電を提訴へ

「福島第一原発事故の被ばくで甲状腺がんに」と主張 事故当時子どもだった6人が東電を提訴へ

2022年1月19日 東京新聞

東京電力を提訴することを決めた女性。甲状腺を全摘し、手にする薬を生涯飲み続ける必要がある=福島県内で

東京電力を提訴することを決めた女性。甲状腺を全摘し、手にする薬を生涯飲み続ける必要がある=福島県内で

 東京電力福島第一原発事故による放射線被ばくの影響で甲状腺がんになったとして、事故時に福島県内に住んでいた17~27歳の男女6人が27日、東電に対して総額6億1600万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こす。弁護団によると、子どもの時に甲状腺がんになった患者が原発事故を起因として東電を訴えるのは初めて。(片山夏子)

◆弁護側「被ばく以外の原因は考えられない」

 提訴するのは、福島市や郡山市などに住んでいた4人と、県西部の会津地方と県東部の浜通りの両地域に住んでいた各1人。事故当時は6~16歳で、現在は県内や東京都内で高校生だったり、会社員やアルバイトとして働いていたりする。

 6人は、福島県の県民健康調査などで甲状腺がんと診断された。2人は甲状腺の片側を切除、4人は再発により全摘し、放射線治療を実施または予定している。4回手術した人や肺に転移した人もいる。治療や手術で希望職種への就職を断念し、大学中退や退職を余儀なくされたりした。再発だけではなく、結婚や出産ができるかなど強い不安を抱えている。

 弁護団は、6人を含む子どもたちに見つかった甲状腺がんの多くがチェルノブイリ原発事故で小児・若年層で確認された乳頭がんで、遺伝性ではなく被ばく以外の原因は考えられないと主張。井戸謙一弁護団長は「再発している人も多く、過剰診断は考えにくい。東電は原因が原発事故と認め、早急に救済すべきだ」と話した。

◆専門家会議は「因果関係認められない」との立場

 原発事故による被ばくと甲状腺がんの因果関係について、福島県の専門家会議は「現時点で認められない」という立場だ。

 原発事故後、県は県民健康調査の一環として、事故当時おおむね18歳以下と事故後の2012年4月1日までに生まれた(県外避難者を含む)計約38万人を対象に、被ばくにより発症の可能性がある甲状腺がんの検査をしている。

 通常、小児甲状腺がんの発症数は年間100万人に1~2人程度とされるが、調査などでは、昨年6月までに約300人が甲状腺がんまたはその疑いと診断された。医療費の全額は、国の財政支援や東電の賠償金で創設した「県民健康管理基金」から交付されている。

 診断結果について専門家会議は「将来治療の必要のないがんを見つけている過剰診断の可能性が指摘されている」としつつ、調査を継続している。

【関連記事】甲状腺がんの26歳「結婚、出産、将来のこと。考えられない」 東電提訴で「今できることを」

「結婚、出産、将来のこと。考えられない」甲状腺がん26歳、肺転移も 東電提訴「今できることを」

2022年1月19日 東京新聞

「結婚とか将来は考えられない」と話す原告の女性。2度の手術で甲状腺を全摘し、手にする薬を生涯飲み続ける必要がある=福島県内で

「結婚とか将来は考えられない」と話す原告の女性。2度の手術で甲状腺を全摘し、手にする薬を生涯飲み続ける必要がある=福島県内で

 福島第一原発事故後に甲状腺がんになった若者6人が、東京電力の責任を裁判で追及する。事故時に子どもだった約300人に甲状腺がんが見つかりながら、事故との因果関係が認められず、検査縮小を求める意見が出ていることへの強い疑問があるからだ。「このままなかったことにされたくない」。福島県中部の中通り地域に住む女性(26)は肺への転移が分かり、将来への不安が膨らむ。(片山夏子)

◆17歳「なんで私が」

 「肺の影以外にも、首にも怪しいのがあるって医師に言われていて。結婚とか出産とか先のことは考えられない」。11日朝、アルバイトに向かう前の女性が自宅で静かに語った。 通院は3カ月に1回。待合室に幼い子がいると胸が痛む。「私は無自覚の時に検査で見つかった。検査を縮小したら助かる命も助からないかもしれない」

 甲状腺がんを告知されたのは2013年3月、17歳で高校3年生になる直前。「手術しないと23歳まで生きられないかもしれない」と言われ、「なんで私が」と思いながらも大丈夫だと信じこもうとした。

◆2度の手術、独房のような部屋

 母親(57)は告知される娘の姿に涙をこらえた。女性は原発事故直後の11年4月に高校に入学。当初は放射性物質を吸い込まないようにマスクをしていたが、すぐに着けなくなった。通学で片道40分歩き、外で体育もした。母親の脳裏に「もし避難していたら」と後悔が巡った。

 女性は東京の大学に行きたかったが、体を心配した母親に止められ隣県の大学に。だが半年後、だるさや疲れ、生理不順がひどくなり、再び検査を受けた。

 「残った片側に再発が見られる。肺にも影が認められる」と医師に告げられ「治っていなかったんだ」と母親と泣き崩れた。治療に専念するため退学した。19歳だった。

 2度の手術や検査による身体的負担は大きかった。長い注射針を喉に刺す検査では針が喉の奥に入るほど痛みが増した。放射線治療は3度にわたり、入院では独房のような部屋に隔離され、鉛入りの窓から外を眺めてひたすら耐えた。

◆…でも今は前を向きたい

 母親は、明るく振る舞う娘が成人式の日、父親に「着物が着られてよかった」と言ったと聞き、死も考えたのかと衝撃を受けた。「がんだから長くは生きられない」と冗談めかして繰り返す娘の言葉に、胸がつぶされる思いもした。「1日たりとも娘の体を考えない日はない」

 女性のがんを示す数値は手術前よりも悪い。再発や転移の不安から、希望する職で正社員になることを諦めてきた。でも、今は前を向きたい。「事故が関係ないなら、なぜこれほど甲状腺がんの子が出ているのか。今後もなる子がいるかもしれない。今できることをしなくてはと思っている」

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