米スリーマイル島原発事故から40年、現地で増える甲状腺がん患者。全米一の同がん発症率の高さ。低濃度放射性による健康影響が新たな課題に

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米スリーマイル島原発事故から40年、現地で増える甲状腺がん患者。事故地のペンシルベニア州は全米一の同がん発症率の高さ。低濃度放射性による健康影響が新たな課題に(RIEF)

2019-03-18 RIEF

TMI1キャプチャ

 1979年3月末に、世界で初めて原発がメルトダウンを起こす事故となった米国のスリーマイル島(TMI)原発事故から、まもなく40年が経つ。原子炉はメルトダウンしたが、東京電力福島第一原発とは異なり、爆発は免れたため、被害者はほとんどいない、と説明される。だが本当にそうだったのか。

 TMIは米東北部のペンシルバニア州の州都ハリスバーグ郊外のサスケハナ川にある中州で、当時、メトロポリタン・エジソン社が2つの原発を稼動させていた。1979年3月28日。そのうちの2号機(加圧水型原子炉)の作業中に二次冷却水の給水ポンプが止まり、炉心の圧力上昇から加圧器の安全弁が開いたままとなるなどの不具合が発生、作業ミスも重なり、炉心溶融を起こした。

 ウィキペディアによると、燃料の45%、約65㌧が溶融、うち20㌧が原子炉圧力容器の底に溜まる事態になった。ただ、米国原子力学会の公式報告では、周辺地域に放出された放射性物質はヘリウムなどの希ガスが大半で、セシウムは放出されず、ヨウ素も15キュリーに過ぎない、としている。また、発電所から10マイル以内の住民の平均被曝量は8㍉レム(㍉レムは0.01mシーベルト)で、個人単位でも100㍉レムを超える者はおらず、健康に有意な影響はなかった、とされている。8㍉レムは胸部X線検査とほぼ同じ水準。

TMI2キャプチャ

  当時14歳だったChris Achenbach-Kimmel さんは、事故当時、TMIから14㍄離れたカンバーランド・カウンティのハイスクールで授業を受けていた。「教室でニュースを聞いて、何のこと?とよくわからなかった」と振り返る。ボーイフレンドが彼女を学校から自宅まで送ってくれた。

 しばらくして、自宅の周辺にまで報道陣が詰めかけた。だが、家族ともども自宅の中に閉じこもっていたという。母親が「すべてがクリーンになるまで、外に出ないように」と言い聞かせ、彼女も兄弟たちも頷いた。事故から数日後に当時のカーター大統領がTMIを訪問したことで、人々はやっと安心感を取り戻し始めた。

 日を追うにしたがって、地域は落ち着いていき、原子力規制委員会(NRC)も「事態はコントロールされた(the matter was under control)」と住民に安全宣言を示した。Chrisは1982年にはハイスクールを卒業、TMI事故はそのハイスクール時代の思い出の一つにとどまった、はずだった。

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 作業療法士の道を歩んだChirsが体調の異変に気付いたのは、事故から31年後の2010年。診察で甲状腺がんと診断されたのだ。その時、彼女はTMIを瞬時に思い出した。現在、54歳になったChrisは「甲状腺がんとTMIが私の中でつながりました」と語る。

原子炉建屋内を除染する作業員
原子炉建屋内を除染する作業員

 彼女を診断した医者は、驚かなかった。米国全体の統計と比較すると、同州の甲状腺がん罹患率は高いことが知られていたからだった。実際、米国の公式の統計(Centers of Disease Control) によると、近年の同州では甲状腺がんの発生率が全米最高水準の状態が続いている。https://gis.cdc.gov/Cancer/USCS/DataViz.html

 実は、Chirsのケースは特別ではない。TMI事故後に甲状腺がんに罹患した人々は、事故の影響を疑っており、複数の医者たちはその影響を否定していない。しかし、原子力産業や関係者たちは、「TMI事故と健康被害の増加率との間に、決定的なつながりはない」との立場をとり続けているという。

 NRCのスポークスマンのNeil Sheehan氏は、地元のPEN LIVEの取材に対して、「放射性物資の拡散が全くなかったというつもりはない。だが、極めて低濃度の漏洩だったので、健康に影響を及ぼすことは考えにくい」とコメントしている。NRCは2000年のピッツバーグ大学医療センターによる調査では、事故で原発から5マイル以内の人々の間でのがん死亡率が増えたという兆候はみられなかった、と説明している。

当局は健康被害がないことを強調
当局は健康被害がないことを強調

 一方で、2017年にペンシルベニア州立医療研究大学の調査は、微妙な結果を浮かび上がらせている。同調査は甲状腺がんの研究者で外科医の David Goldenberg医師が主導したもので、原発事故後に発生した患者からのヒアリングを受けて甲状腺がんの病因を調べる調査を実施した。https://www.pennlive.com/news/2017/05/hershey_researcher_believes_ne.html

 同医師らの調査によると、同州で発症した甲状腺がん患者の大半はTMI事故との直接の因果関係はない、とするとともに、低濃度被曝によって引き起こされる甲状腺がんが通常の甲状腺がんとは異なる「突然変異シグナル」を持つことがわかったとしている。Goldenberg医師は、旧ソ連のチェルノブイリ事故後に用いられるようになった遺伝子マーカーを使った分子研究に基づいて調査を実施した。

 対象の甲状腺がん患者は44症例。いずれもTMI周辺で生まれ、事故時も在住し、同州のHershey Medical Centerで治療を受けた点で共通する。これ等の症例からGoldenberg医師は「TMI事故の発生期間と一致する放射性被曝に起因する変化を見つけた」と報告している。医師たちは事故と甲状腺がん発症の相関性を指摘する一方、「TMI事故ががんの原因であると証明するものでもない」と慎重な表現をしている。

事故被害への疑問の指摘は続く
事故被害への疑問の指摘は続く

 医師らが慎重なのは症例が少ないためだ。このため現在、大規模なフォローアップ研究を進めているという。事故から40年の現在、医師たちもまだ議論の只中に漂っているのだ。しかし、こうした調査から浮かび上がるのは、本当にTMI事故時に、米政府が公表した放射性物質量の拡散量や濃度は正確だったのかという基本的な疑問点だ。

 低濃度の放射性物質被曝の影響はまだわからないところが少なくない。当時の周辺住民の平均被曝量の8㍉レムはX線検査とほぼ同じ水準といっても、それを24時間、あるいは1週間、浴び続けた場合の影響はどうなのか。あるいは個体差はどうなのか。

 ペンシルベニア州立医療研究大学の調査対象で、TMI事後当時21歳で、13年後の34歳で甲状腺がんと頚部がんを発症したChristine Laymanは、自分のがんは事故の影響だと信じている。事故当時4歳だった彼女の娘も頚部がんを発症した。Laymanさんは大学の調査結果を聞いて、事故の影響の確信を深めたという。彼女は、健康被害を受けたと思う人々をフェースブックでグループ化しているが、参加者数は3600人に達しているという。

https://www.facebook.com/groups/875561992580399/

 同大学の調査に対して、住民たちは事故の影響の確信を深めているが、原子力規制当局の対応は「絶望的」という。住民たちが事故の影響を立証するのもほとんど不可能だ。特に、時間が経過すればするほど、体の不具合は顕在化する一方で、正確なデータ等は限られ、減少してしまう。さらに当局が放射性物質の放出量を過小に報告していたとしたら、その検証はほぼ不可能といえる。

 甲状腺がんと闘い続けるChris Achenbach-Kimmel さんは、事故の影響を思いつつ、他の人々ほどには、確信をもてないでいるという。事故後40年を経ても、判断がつかない状態のまま立ち尽くしているのが本当のところという。福島事故からもう8年か、やっと8年か。事故後40年の福島周辺の人々も、TMIの住民たちと同じ悩みを抱えるのだろうか。

  (藤井良広)

https://www.pennlive.com/news/2019/03/three-mile-island-and-thyroid-cancer-study-ignites-debate-over-health-issues-after-nuclear-plant-accident.html

http://www.beyondnuclear.org/
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