◆「放射線の影響は考えにくい」に疑問 福島の甲状腺検査 評価部会長が辞表
(2016年10月21日配信 北海道新聞)
「部会長の立場では自分の意見が言えない」
東京電力福島第1原発事故後に福島県が設置した県民健康調査検討委員会の委員で、子供の甲状腺検査を評価する部会の清水一雄部会長(日本甲状腺外科学会前理事長)が、検討委に辞表を提出していたことが分かった。清水氏は検討委が3月にまとめた「放射線の影響とは考えにくい」との中間報告に疑問を感じ、「部会長の立場では自分の意見が言えない」と辞任を決めたという。
清水氏は医師で、甲状腺の内視鏡手術の第一人者。原発事故当時に18歳以下だった福島県の子供たち約38万人を対象にした検討委の甲状腺検査では、これまでに174人が甲状腺がんまたはその疑いと診断されている。
「多発は事実。臨床経験から考えると不自然な点も」
清水氏は「多発は事実であり、これまでの臨床経験から考えると不自然な点もある。『放射線の影響とは考えにくい』とは言い切れない」と説明している。
次回、開かれる部会で清水氏の辞任が決まる見通し。今後は部会員、委員として議論に関わる考えという。
福島県の甲状腺検査とは
2011年3月の東京電力福島第1原発事故当時、18歳以下だった約37万人を対象に同年秋から福島県が行う検査。14年春からの2巡目は事故後1年間に生まれた子供を加えた約38万人が対象。超音波で甲状腺のしこりの大きさや形を調べ、異常があれば細胞などを詳しく調べる。今年9月に報告された6月末時点の結果によると、1、2巡目を合わせて甲状腺がんと確定したのが135人、がんの疑いが39人。1986年の旧ソ連チェルノブイリ原発事故では放射性物質ヨウ素131の影響で周辺の子供たちに甲状腺がんが多発した。
◆福島県で小児甲状腺がんの罹患率が100倍に 4年間で175人の患者が見つかる
子どもの甲状腺がんが福島で多発!それなのに検査縮小の動きが出てくる「謎」
「昨年夏のことです。何度かお会いしているお父さんとお茶を飲み、“多くの子どもに甲状腺がんが出ているなかで、被ばくによる影響を否定する行政の対応はおかしい”と私がお話しすると、心を許されたのでしょうか、娘さんががんにかかっていることを明かしてくれました。
娘さんは高3のときに1度、甲状腺の手術をして、大学1年だった昨年、再手術を受けて甲状腺を全摘したそうです。傷痕が大きく残っただけでなく肺やリンパへの転移も見つかり、大学を中退せざるを得なくなりました」
福島に残り、事故後の様子を撮り続ける写真家・飛田晋秀さんはそう語った。
がんにかかった家族にとって、原発事故の影響は続いている。
福島で子どもたちに何が起きているのか
福島県が行っている『県民健康調査』は、子どもの健康への影響を見るために行われ、小児甲状腺がんの検査が行われている。事故当時18歳以下から0歳までの小児、約37万人が対象。11年から第1巡目、14年から第2巡目が始まり、それぞれ116名と59名、合計175名にがんの疑いが見つかり、実際に136名が手術をした。
検査では“結節(しこり)”や“のう胞(水のような液体がたまったもの)”の有無、大きさや数を検査し悪性、つまりがんの疑いがあるかどうかを判断する。例えば第1巡目に結節やのう胞がなかった人でも、第2巡目には悪性と判断される人が半数近くになり、早期治療のためには定期的な健康診断が必要であることがわかっている。
小児甲状腺がんは、専門医でも実際の患者を診たことがないケースが多いという珍しい病気であり、これまでは100万人に1~2人ぐらいの確率で発生するといわれてきた。ところが福島県の調査では、都合4年の間に、175人もの患者が見つかったのである。これまでの100倍もの罹患率である。
今後、さらに多くの患者が生み出される心配はないのであろうか?
チェルノブイリ原発事故は、今から30年前の1986年、ウクライナの北端で起きた。この事故により当時ソ連だったウクライナ、ベラルーシ、ロシアに放射性物質の約50%が降り落ちた。スウェーデン、ドイツ、フランス、ポーランドなどのヨーロッパ各国にも遠く運ばれ、福島事故と同レベルの大事故であった。
最も影響を受けたウクライナでの小児甲状腺がんの患者数の推移は、原発事故から5年後の1991年以降、患者数は急増し、年間数百人にもなっている。ベラルーシでも同じ傾向を示していた。総数的には、ウクライナ、ベラルーシ、ロシアで約6000人と言われていたのが、ウクライナだけで約2万人という最新の公式データをフォトジャーナリスト・広河隆一氏が、ウクライナへの取材で入手し、雑誌『DAYS JAPAN』に発表している。
福島の事故から5年8カ月を経過した日本でもチェルノブイリの教訓は、今後考えられる甲状腺がんの患者の大幅な増加に備え、検診や治療体制の拡充を即急に図ることにある。
母たちに衝撃!検査縮小の動き
ところが今年9月、福島県の小児科医会や福島県で、検査体制を縮小したいという動きが出てきた。理由は、検査を現状のまま続ければ「子どもや保護者に不安が広がる」という。
福島県郡山市に住む、0歳児と3歳児の子を持つ2児の母、滝田春奈さんは、「私の子どもたちは事故後に生まれているので、これまで検査の対象になっていませんが、検査してもらいたいと考えていました。検査して何もないことがわかれば不安が晴れます。不安だからこそ、検査体制を拡充してもらいたいと思います」と心情を話す。
この甲状腺がんの診断をボランティアで行ってきた仙台市の寺澤政彦医師は、「診断の日は1日50人を限度にしている。それ以上だと疲れ果て、次の日に仕事にならない」という。そうした自身の経験から、福島県立医大が行ってきた数十万人にのぼる検査も「精神的にも肉体的にも大変だと思う」としたうえで、縮小論に対しては批判的だ。
「ベラルーシでも4年後から甲状腺がんが出てきている。甲状腺がんの検診をやめたり、縮小したりするというのはとんでもない乱暴な提案。甲状腺に限らず、心血管系、筋・関節系、血液・免疫系などの検診を年齢、地域を拡大して実施する必要があり、ひとつの大学や県に任せておける検査ではありません」
山本太郎議員も、縮小論は「正気の沙汰ではない。真逆の提案だ」とし、「これ以上の継続や検査拡大は(被ばくによる)影響がハッキリするので、不都合なのです。福島県以外の広い地域にわたり、福島県と同等の調査をすることが必要です」と国の役割を求めている。
福島第一原発事故は日本政府の国策のもとに「絶対安全」という原発の安全神話が破られ、そして今、原発事故の被害は、どれをとっても惨憺(さんたん)たるものである。環境汚染や被ばくによる疾病、避難者への対応を間違えば被害はさらに拡大し、人々に重くのしかかる。
いま東京電力や国がやっているのは、被害を極力少なく見せようという、その場しのぎの対応に過ぎない。水俣病をはじめとする公害問題で、日本の行政は事業者側に立ち、被害を拡大してきた。その誤りを再び繰り返すことは許されない。
◆甲状腺がんをめぐり専門家ら議論〜福島で国際会議
東京電力福島第一原発事故による健康影響などを議論する国際会議が、9月26日と27日の2日間、福島市で開かれ、国内外の専門家200人が参加した。福島の子どもの多くを執刀している福島医科大の鈴木眞一教授は、詳細な手術症例を報告。125例のうち5例を除く121例が、1センチ以上の腫瘍かまたはリンパ節転移があると説明し、「過剰診断」とはほど遠い治療実態を明らかにした。また、片葉を摘出した患者の中に、再発しているケースがあることも公の場で初めて認めた。
鈴木教授が今回、公表したのは、福島県民健康調査の甲状腺検査の結果、今年3月までに手術が行われた132例のうち、福島県立医大で手術で行われた125例(良性結節1例を除く)の手術症例。
リンパ節転移の状況は、転移ありが97例(77.6%)で、うち、中央部での転移となるN1aが76例(60.8%)、頚部に広がっての転移N1bが21例(16.8%)だった。一方、リンパ節転移なしは28人(22.8%)。がんが甲状腺の皮膜から外に広がる軽度甲状腺外浸潤(pEX1)は49例(39。2%)で、1cm以下でリンパ節転移もなく、甲状腺外浸潤や遠隔転移していないケースは、わずか5例であったという。
今回はじめて遠隔転移3例について、性別や年齢が公表された。一人は、事故時16才、手術時19才の男性。別の患者は、事故時16才、手術時18才の男性 3人目は、事故時10才、手術時13才の女性で、術後診断結果は、T3(4cm超または甲状腺皮膜外浸潤)、pEx1(軽度甲状腺外浸潤)、リンパ節転移はN1bだった。
鈴木眞一教授は質疑の中で、手術後、再発している患者がいることを公式の場ではじめて認めた。
以下の記事には、鈴木眞一教授が発表した3例以外の「事故当時、中学3年の女性」がインタビューを受けており、肺への転移と手術後に再発したことも伝えている。このことから肺などへの遠隔転移が4例以上あることがわかる。
◆福島・見捨てられた甲状腺がん患者の怒り 2度の手術、肺に転移
(2015年9月25日号 FRIDAY)から抜粋
東日本大震災が起きた当日は、Aさんの中学校の卒業式だった。原発事故直後の3日間は外出をひかえていたものの、その後は通常の生活を続けていたという。 「県立高校への進学が決まっていました。事故から1週間後には、制服を注文するため母と一緒にJR福島駅前にあるデパートに出かけたんです。高校入学をひかえた子どもたちが押しかけ、デパートは超満員。建物の外にまで行列がのび、私たちも30分ほど屋外で待たされました」
当時は県内の空間放射線量が非常に高く、福島市内では毎時約10マイクロシーベルトを記録していた。そうした事実を知らされず、Aさんはマスクをつけずに外出していたのだ。
通い始めた大学も再発で退学
翌年の夏休み。自宅近くで行われた県の甲状状検査で、Aさんに異常が見つかる。県からは「福島県立医大で精密検査をお願いします」との通知が届く。「ノドが 少し腫れていましたが、自分で気づかなかった。県立医大で2回目の精密検査を受けたときに医師から『深刻な状態だ』と告げられ、ガンであることがわかったんです。高校3年の夏休みに手術を受け、甲状腺の右半分と転移していた周囲のリンパ組織を切除しました」
だが、これで終わりではなかった。高校で美術部に所属していたAさんは「ウェブデザイナーか学芸員になりたい」という夢を持ち、卒業後、県外の芸術系大学に進学。入学後の健康診断で「血液がおかしい」との結果が出たのだ。「夏休みに帰郷し、県立医大で検査を受けると『ガンが再発している』と言われたんです。治療に専念するため、通い始めたばかりの大学も退学せざるをえませんでした。10月の再手術では、残っていた左半分の甲状腺とリンパ組織を切除。甲状腺は全摘出することになったんです。肺への転移も判明し、術後しばらくはかすれた声しか出ず、キズの痛みをこらえながらリハビリを続けていました」
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