5月11日 岡山 18:00~20:30 岡山国際交流センター
岡山)セヴァン・スズキさん講演会、5月11日に岡山で
(2016年4月29日03時00分 朝日新聞)
12歳の時、ブラジルで開かれた地球環境サミットで演説をした日系4世カナダ人、セヴァン・スズキさん(36)の講演会が5月11日、岡山市北区奉還町2丁目の岡山国際交流センターで開かれる。2児の母になった今も、環境保護に力を注ぐセヴァンさんと、地球環境の未来に向けた暮らしや行動の選択について考える。
講演のほか、有機農業や環境活動に取り組み、福島などで被災者支援を続ける福岡県の中村隆市さん、東日本大震災後に福島県川内村から岡山市内に移り住み、避難者の支援活動をしている大塚愛さんとの対談もある。
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放射能から子どもを守る企業と市民のネットワークが共同で主催した「セヴァン・スズキの Be the Change! ツアー2016」は、若い世代に大きな刺激を与えましたが、子どもたちにも素敵な影響が現れています。その一部をご紹介します。
セヴァンの講演を聞いた10歳のゆうすけ君の感想文
昨日は、岡山でセヴァン・スズキさんの講演会がありました。セヴァンは、12歳のときにブラジルのリオで開催されていた国連地球サミットに、自分でお金を集めてカナダから行き、各国の首脳の前でスピーチをしました。「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。」「もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどそのことを知っています。」
二人の男の子のお母さんになったセヴァンは、今も未来の世代に豊かな地球を残すために活動しています。セヴァンは、多くの命が犠牲になる可能性がある化石燃料や原子力ではなく、自然エネルギーに頼る社会に変えていくことの大切さを話していました。
僕は、環境やエネルギーの問題についてもっと知りたいと思いました。僕たちにもできることがきっとあります。
5月11日(水)、岡山市国際交流センターでセヴァン・スズキ講演会「Be the Change~ミライノセンタク~」が開催された。セヴァンさんを一目見ようと会場に来た人たちは約230人。平日の夜にもかかわらず、会場は来場者でいっぱいとなった。登壇者はセヴァンさんの他に、中村隆市さんと大塚愛さん。それぞれの講演の後に、3人によるトークセッションが行われた。
始めに、セヴァンの講演会開催に当たって、中村隆市さんがあいさつ。中村さんはチェルノブイリの原発事故後に、被害を受けた現地の人たちへの支援活動を積極的に行ってきた。事故後に病気となる人が現地で増えていることに言及。2011年には東日本大震災によって福島で原発事故が起きたが、日本でも同じことが起こりつつあると警鐘を鳴らした。
続いて、セヴァンさんによる講演。現在、石油に代わる資源としてタールサンドが注目されているが、その生成過程でたくさんの産業廃棄物が発生すること、生成の過程で温暖化ガスが発生し、気候温暖化に悪影響を及ぼしていることを説明。そうした悪循環が起こるプロセスは原発によって引き起こされる負の循環ととてもよく似ているということを話した。最近カナダで起きた山の大火事(約10万人が避難)やシリア難民を引き起こした戦争の原因が地球温暖化と関係あることについて触れ、私たちの日々の生活がいかに世界で起きていることと関係が深いか、ということを語った。カギは、多様性にあると言う。環境問題だけでなく、文化についても多様性を守ることが地球を守ることにつながると力説した。私たちが今何をするかによって、未来は変えることができるのだと情熱的に訴えかけた。
大塚愛さんは元々は福島の居住者だった。原発事故が起きてから、実家がある岡山市に避難。福島原発おかやま損害賠償請求事件の原告として、岡山地裁で行った意見陳述の一部をこの日、再読してくださったが、まるで美しい詩の朗読を聴いているかのようだった、と来場者より感想も寄せられた。岡山では組織を立ち上げ、避難者の支援や福島から来る人たちの保養を受け入れている大塚さん。現地にとどまる人も、避難する人も、ひとりひとりの選択。みんなの正解ではなく、ひとりひとりが出した正解と選択肢を認めることが大事ではないかと語った。
講演会が進むにつれ、会場全体がひとつになっていくような一体感を感じたのは、なぜだろう。後半の、セヴァンさん、大塚さん、中村さん3人のトークセッション終了時に、セヴァンさんと大塚さんが互いにハグしあう姿が印象的だった。岡山の子どもたちが事前に準備した手書きの垂れ幕が、講演会にあたたかみを添えた。(玉置麻子)
セヴァン・スズキさんの講演を聴かせていただきました。会場は予約で満席。さすがの人気です。娘(大塚愛)も合間に30分ほど講演を頼まれていたので、私は1歳半の孫を預かり、岡山駅で電車やバスを見せて過ごしました。・・・会場に戻ると、セヴァンさんが最後の質疑応答をされていました。「座右の銘は?」の質問に、「自分の声に正直に生きなさい」とセヴァンさん。1992年、リオの環境サミットでスピーチした12歳の少女は、今や36歳。二児の母。「地球を守りたい」「世界を変えたい」との願いから、今も発言・行動し続けるセヴァンさん。最後尾に座っていても、彼女のゆるぎない意志と熱い思いが伝わってきました。会場正面の垂れ幕は岡山の子どもたちが事前ワークショップで描いたもの。イベントを企画・準備してくださった「スロウな本屋」の小倉みゆきさんとお仲間に感謝です。(市場 恵子)
大塚愛さんがこの日、話されたこと(岡山地裁での意見陳述)を一部を掲載します。
私が福島で生活を始めるようになったのは大学を卒業した3年後の1999年のことです。…大学卒業後,自分の夢を模索する中で自給自足と大工を目指すようになり,福島県川俣町にある農場で農業研修を受けることになりました。半年間の農業研修ののち,私が生活をしていたのは福島県双葉郡川内村というところです。川内村は浜通りの中部に位置し,福島第一原子力発電所からは30キロ圏内にあります。
私はこの村に自分で小屋を建てて住み,村の大工の親方に弟子入りし,平日は大工仕事を,土日は農作業をしながら生活していました。川内村に移ってから4年後,仕事の関係で福島に来た夫と出会って結婚し,川内村に夫婦で新居を建てました。子どもが2人生まれて家族4人になり,大工と建築設計の仕事を営みつつ,春には山菜を採り,夏には渓流で泳いでヤマメを釣って食べ,秋にはキノコやクリを採り,冬には薪で暖をとる,そのような暮らしをして,四季のめぐりや自然の恵みに何より生きる豊かさを感じていました。
平成23年3月11日午後,東日本大震災が発生しました。…テレビのニュースでは,原発の電源は回復していないという報道がされ,午後3時ころには1号機が爆発したと報道されました。…今までずっと起きてほしくないと思っていた原発事故が本当に起きてしまった。私が住んでいたあの家にも,庭にも,畑にも,山にも,川にも,放射能が降ってくるということが,本当に起きてしまったんだ,と,悲しい気持ちでいっぱいになりました。私にとって,それまで穏やかに暮らしていた世界が,音を立てて崩れていくような出来事でした。私は会津若松の路地裏で涙が止まらなかったことを覚えています。
避難後は,深い悲しみの中で過ごしていました。精神的には,まるで体中の血管が断ち切られ,そこから血が流れているように感じました。人は誰でも生活をしながら,そこで関わる人や土地や自然というものに,心をつなげて生きていると思います。私にとって原発事故による避難という体験は,そのあらゆるつながりが突然断ち切られてしまうことでした。…2011年4月に入って,新聞やインターネット,福島にいる友人からの情報によって,原発事故による放射能汚染の実態が明らかになってきました。そのときにわかったことは,放射能の汚染物質が福島県中通りを通り,たくさんの人が住んでいる地域に広がっており,またその情報が適切に住民に伝えられておらず,高い汚染を受けた地域に子どもも赤ちゃんも残っていることでした。私はその状況に対して,子どもたちを被爆から守らなければいけない,と強く思いました。
福島県内に残っている知人達は,いち早くその必要性を感じとり,子ども達を避難させ,自主的な除染作業などを始めていました。私も岡山からそれを支えたいと思い,支援の協力を呼びかけて,2011年5月に「子ども未来・愛ネットワーク」という市民団体を立ち上げました。そして,福島県内に放射能防御や受け入れ支援の情報を届けたり,岡山県内に自主避難してくる親子のサポートを行ったりしてきました。
一方,その頃の福島県では,県の放射線アドバイザーとして派遣された長崎大学の山下俊一教授が,「放射能を気にしなくてもいい」という内容の講演をして回っていました。その頃の福島県内は今よりもはるかに放射線量が高く,とても安全とは言えない状況でした。事故直後から,「外出時はマスクをつけてください」,「雨や雪に当たらないでください」,「水道水や食料に気をつけてください」と伝えていれば,福島や関東圏の子ども達は無用な被爆を避けられたと強く感じています。
東京電力は「原発は安全」と言い続けてきました。しかし,ひとたび事故が起これば,大気中に出た放射性物質に対して何も対処をすることなく,その責任を放棄しているかのように見えました。また,国は被害を最小限に見せるため,正確な情報を適切に伝えることをしませんでした。
チェルノブイリ事故の被災地では,年間追加被ばく線量が5mSv以上の汚染で避難地域に指定されましたが,日本の基準はその4倍の年間20mSvです。チェルノブイリでは,今も多くの健康被害が出ているというのに,この4倍に上げられた数値に対して,誰が責任をもって「安全です」と言い切れるのでしょうか?
全文はコチラ
(Free the Children Japan, Kagawa Group に投稿した10歳のゆうすけ君)
昨日は、岡山でセヴァン・スズキさんの講演会がありました。セヴァンは、12歳のときにブラジルのリオで開催されていた国連地球サミットに、自分でお金を集めてカナダから行き、各国の首脳の前でスピーチをしました。「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください。」「もし戦争のために使われているお金をぜんぶ、貧しさと環境問題を解決するために使えば、この地球はすばらしい星になるでしょう。私はまだ子どもだけどそのことを知っています。」
まさにキッズパワーです!
二人の男の子のお母さんになったセヴァンは、今も未来の世代に豊かな地球を残すために活動しています。今、カナダではタールサンドから石油を取り出すことにたくさんのお金が注がれているそうです。それは、中東のさらさらタイプの石油の代わりになるものとして期待されているからです。でも、まさにそのタールサンドの現場近くのフォートマクマレーという町をいま山火事が襲っています。セヴァンは、多くの命が犠牲になる可能性がある化石燃料や原子力ではなく、自然エネルギーに頼る社会に変えていくことの大切さを話していました。
僕は、環境やエネルギーの問題についてもっと知りたいと思いました。僕たちにもできることがきっとあります。
(山陽新聞に投稿した小学6年・佐藤彩帆さん 6/22朝刊掲載)
<その後の動き>
セヴァンの講演を聞いたゆうすけ君(小学5年)は、得意なパン作りの腕を活かして、こんな活動に取り組んでいます。
2016年8月24日(水)
ちいさなパン屋 ワークショップとチャリティ販売
The Little Bakery(ちいさなパン屋)は、中村伊希くん(中学3年)、中村有佑(小学5年)くん兄弟が運営&時々OPENするパン屋です。
幼い頃から、貧困や児童労働、紛争に巻き込まれている世界の子ども達に、関心を寄せてきたふたり。子どもが子どもを支援する国際協力「フリー・ザ・チルドレン(Free The Children Japan。以後 FTCJ) に加わり、活動しています。
兄の伊希くんが、世界の子どもたちの現状やFTCJについて語り、弟の有佑くんは、得意のパン作りの腕を活かして、おいしいパンをチャリティ販売する。The Little Bakeryは、ふたりが考えたチャリティの形です。
伊希くんは言います。
「こういう活動は特別な人がやっているのではなくて、僕たちのような普通の子が、自分たちのできることからやることで、大きなことにつながることをみんなに知ってほしいです」
The Little Bakery が、はじめて岡山で開店します。ふたりの熱い想いを聴きに、そして、おいしいパンを買いに、ぜひいらしてください。
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日 時:8月24日(水)13:00 – 14:30
場 所:スロウな本屋 / 岡山市北区南方2-9-7 TEL 086-207-2182
参加費:ひとり1000円(ご家族、きょうだいでご参加の場合、2人1500円、3人2000円)
定 員:10組
対 象:小学生以上
内 容:①The Little Bakery 中村伊希くんのお話と読み聞かせ ②ロールプレイング(児童労働シュミレーションゲーム)体験 ③パンの販売
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