チェルノブイリ原発事故の4年後まで超音波検査機器がなかった

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ミコラ・トロンコ所長「当時ソ連に高性能のエコー診断装置はなかった」

甲状腺がん疑い含め137人、2巡目は25人〜福島健康調査

 

甲状腺がん がん疑い含む合計 年次推移

 

福島県で、子どもたちの甲状腺がんの急増が止まらない。1巡目の「先行検査」で98人の「甲状腺がん」と14人の「がんの疑い」が見つかっていたが、2巡目の「本格検査」になっても甲状腺がんが増え続けていることで、がん急増の理由を「スクリーニング効果」では説明できなくなっている。
小児甲状腺がん「本格検査」 増かグラフ
原発事故後、政府や福島県が繰り返し主張している「放射線の影響とは考えにくい」という大きな理由が「チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんが見つかったのは発生から4〜5年以降だった。だから、4年以内に急増している福島は、放射線の影響とは考えにくい」ということだった。しかし、チェルノブイリでも実際には、原発事故の翌年から小児甲状腺がんが増えている(ベラルーシの小児甲状腺がん統計では、原発事故が起きた86年2人、87年4人、88年5 人、89年7人)。そして、90年から急増したのが実態である。
ベラルーシの子どもの甲状腺がんの年次推移グラフ(1977~1997)
90年から急増した理由は、それまで現地に超音波検査機器がなく、手で触って診察する「触診」で甲状腺ガンを見つけていたのが、1989年頃から「超音波検査機器」が外国から寄贈されるようになった(日本からも複数の市民団体が寄贈している)ことによって、リンパ節や肺などへの転移が早い子どもたちの甲状腺がんを早期に発見できるようになった。
甲状腺がんの転移(出典:ベラルーシ国立甲状腺がんセンター)
    (菅谷昭著『原発事故と甲状腺がん』より)
以下は、昨日お伝えした論文の中からもう一つの重要な記事を紹介します。

 

事実24

装置もなく、検診もしない

TV朝日は、チェルノブイリから10キロ西にある診療所の副所長にも取材しており、その彼は、1990年まで診療所に超音波検査機器がなかったと指摘した。だから、最初の4年間、医師たちは手で触診していたのである。副所長は、もっと早くから癌が発症していたとしても、検出できなかったということもありうると認めた。トロントも、1989年から1990年ごろにアメリカの裕福な篤志家たちが贈った装置を医師たちが受け取るまで、ソ連に超音波検査機器がなかったと同調した。

 

ミコラ・トロンコ所長「当時ソ連に高性能のエコー診断装置はなかった」

(2014年3月11日放送 報道ステーション)

 

菅谷昭(長野県松本市の市長であり、1996年から2001年までベラルーシで医師として働いていた)が、福島の一斉検査プログラムの話に関連して、「触診で子どもたちのしこりを見つけるのは難しい44と言ったように、これは決定的に重要である。したがって、トロンコ自身も番組で認めたように、[原子炉]爆発後4年より前に癌が発症していたが、装置がないために検出できないままだったというのはありうることである。これが、留意しておくべき第2の要素である。

 

チェルノブイリ事故の4年後までソ連に超音波検査機器がなかったことを報道ステーションが明らかにし、この報道が4年という事実の妥当性に大きな疑問符を投げかけたので、朝日、毎日、読売で時間間隔についての記事があれば、このことが報道されるだろうと期待して当然である。ところが、TV朝日と同じ系列であるはずの朝日新聞は、TV朝日の放送から3日前の2014年3月8日 付け記事で、一言、ソ連の診断機器の不足について言及しただけだった。ところが、鈴木眞一がまるで示し合わせたかのように、同じページに彼自身の短文をかついで顔を出していた。鈴木は、甲状腺癌の進行が遅いこと、スクリーニングに前例がないことを理由に、福島で見つかった甲状腺癌の原因が放射線被曝であることを否定した。彼は4年の「事実」には触れなかった。朝日は奇妙なことに、3日後にニュース番組が浮き彫りにした疑問を進んで報道しようとしなかった。だが、これでも朝日は、診断装置の不足についてなにも報道しなかった読売よりはマシだった。

 

結局、放送の内容を報道したのは朝日ではなく、毎日であり、2か月遅れの2014年5月12日付けだったが、日野行介が記事を寄せ、ニュース番組を論じた。彼は記事に自分自身をさらけ出し、福島県は人口の回復と産業の復興を目論んで、情報を独占していると主張した。毎日はそれに加えて、以前にも2度、チェルノブイリ事故後のソ連における超音波検査機器の不足を報道していた。長野県の諏訪中央病院の院長、鎌田實は2013年8月13日付けの寄稿記事で、4年「事実」にもとづく鈴木眞一による関連の否定を「おかしな理論である」と表現した。

 

鎌田實

 

鎌田はチェルノブイリ事故の4年半後、ベラルーシの汚染地域を訪れたとき、国も医師たちも甲状腺癌を重視しておらず、甲状腺検査どころではなかったと振り返った。だが、鎌田は小さな村で甲状腺癌の急増に気づいた。彼と他の何人かで病院に超音波検査機器を提供し、検査を始めた約2年後、WHOとIAEAが関連を認めた。鎌田は、「チェルノブイリで4年後まで小児甲状腺がんが少なかったのは、単に発見できなかっただけだった可能性がある」45と結論した

鎌田は2013年2月23日付け毎日にも寄稿しており、同じ趣旨の意見を語っていた46。したがって、1990年ぐらいまでソ連に超音波検査機器がなかっただけでなく、医師の多くは甲状腺癌を見つけようとすらしていなかったのだ

 

甲状腺潜伏にまつわる秘密の知識

チェルノブイリにおける山下の活動を思えば、山下と鈴木が4年の「事実」を断言しているのは、彼らの本当の知の限界を反映しているのだろうかと訝っても許されるだろう。そうではないと思わせる証拠がある。TV朝日の番組に対する福島医大の反論(後述)は、現時点(2013年末)までに甲状腺癌と診断された子どもたちの平均年齢が16.9歳であり、これは通常時の傾向と合っているが、チェルノブイリ事故後のほとんどの事例は0歳ないし5歳の範囲内に収まっており、また福島県内で検出率の地域的な違いはなかったと主張している。ところが、ある鋭いブロガーが指摘した47ことだが、ベラルーシのゴメリ州でチェルノブイリ事故後4年以内に5歳以上の子どもたちの甲状腺癌が見つかっていたしかも、この知見を記録したのは、山下俊一だった

 

日本の原子力委員会のウェブサイトでアクセスできる山下の報告に、手術後に確認された甲状腺癌の事故時年齢別の症例数データが収録されており、それによれば、その数は1986年が1例(13歳)、1987年が4例(11、12、14、16歳)、1988年が3例(6、8、17歳)、1989年が5例(1、5、14、15、16歳)だった。前述したように、1990年にスキャナーがついに届いて、合計数が15症例に跳ね上がり、5例は事故時の年齢が5歳以上だった(6歳2例、8歳2例、13歳1例)ものの、5歳未満の子どもたちに集中していた。その後、症例の年間合計数は35例以上で推移して、1997年に66例の最大値に達し、5歳未満の増え方のほうが大きかったが、5歳以上でも増えていた48

 

山下は結局、5歳以下の子どもたちの発症が4年で2例だったのに対して、5歳を超える子どもたちは11例だったことを知っていたのであり、仕事上の緊密な関係から考えて、鈴木も知っていておかしくなさそうだ。それでも、二人とも何も言わない

 

福島医大サイトは2012年11月30日発行のパンフレットを掲載し、甲状腺スキャンに関する情報を提供している。鈴木眞一は挨拶文で、チェルノブイリ事故当時、乳幼児であった人たちに4年後から甲状腺癌発症の増加が認められていたと述べる50。言い回しが巧みである。4年後に甲状腺癌が発症しはじめたと言わず、増加しはじめたと言っている。だが、受ける印象では、(「増加」は「正常」レベル以上の増加のはずなので)問題になる症例は4年後になって初めて現れたということになる。したがって、それより前に福島で見つかった甲状腺癌は放射線関連のものではありえないことになる。

 

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